音協とは?

テーマは、文化とコミュニケーション。時代が求める潤いを創造してきました。

昭和44年、高度成長時代のただ中に企業経営者の皆様のバックアップをいただきながら、鹿児島の音楽文化協会は設立されました。戦後復興の時代から急速な工業化が進み、経済はとんとん拍子に発展を続けていた時代でしたが一方で社会情勢や政治情勢は複雑なものになり、人々が真の潤いや憩いを求めはじめていたそのニーズにタイムリーに応える形でのスタートでした。それから30年。世界の基本構造ともいえた冷戦の終結など社会は大きく変化し、人々の価値観もいっそう多様なものになってきましたが鹿児島音楽文化協会が設立当時に目指した「文化とコミュニケーション」というテーマは、ますますその重要性をましているようです。 人が生き、暮らしていく中で、もっとも大切なものは何なのか。答えはさまざまでしょうが、私たちはやはり、人間らしい潤いと人と人がつながるためのコミュニケーションと考えます。21世紀を目前にした今日、一人でも多くの人に感動を伝えたいと志した初心を大切に積極的な活動を通して鹿児島の文化シーンのリーダーとしての役割を果たしてまいります。

「明日もがんばれる」の言葉に胸がつまることもありました。

愛。勇気。感動。こんな言葉を普段の暮らしの中で使う人はあまりいないのかもしれません。それはあまりに抽象的で、非日常的でもあり、口にするには気はずかしいものですから。でも、ひとつのステージが終わって、割れるような拍手をいただく時、その喝采の中に確かに私たちはその言葉を聞きます。ひとつの仕事をやりあげていく緊張感の中にいる私たちは、自分でプロデュースしたステージの感動を、直接味わうことはまれですが、お客様の感動がまるで合わせ鏡のように、こちらに押し寄せてきて心をゆさぶることがあります。「ありがとう」というお客様の言葉は、ほんとうにありがたく、「これで明日もがんばれる」という言葉には、私たちも胸がいっぱいになり、明日もがんばれる気持ちになります。感動は心のごはんのようなもの。なくてはならないものです。そしてそれは、波のように人から人へ、同じ形で伝わっていきます。そんな幸福な出会いを夢見て、私たちは今日も裏方としてバックステージを走り回っています。

「無理だ」と人がいうことこそ面白いのだと思います。

30年前、「文化は中央から来るもの」でした。いつのまにかそれは「地方から発信されるもの」になっています。地方の小都市でのビッグネームの公演や、大掛かりなイベントは今でこそ当たり前のようになりましたが鹿児島においては私たちの仕事が、そのさきがけのひとつとなったと自負しています。「無理だ」「やれない」といわれたことをずいぶんと私たちはこなしてきましたが、それはむしろ私たちの力というよりも迎えてくださる地元の方々や関係者の方々の熱意によるとことが大で、私たちはその橋渡しをしただけかもしれません。いずれにしても、その最大の成果は、こうした経験をへてそれぞれの街に地域をプロデュースしていく意欲をもった人やグループが育っていったことでした。ふるさとの文化を活気づけ、人を元気にするために労力とアイデアを惜しまない地域プロデューサーの人たちと連携をとり、知恵を出しあいながらより地に足のついた文化活動を展開していきたいと考えています。21世紀。鹿児島音楽文化協会は、より地域に密着しながら、質の高い文化活動を展開してまいります。

(文:鹿児島音楽文化協会創立30周年・記念誌より)